人気配信者うんこちゃんこと加藤純一。
加藤純一の祖父に、加藤一男という男がいる。
加藤純一の性格に大きく影響を与えた一男はどんな人物だったのか。加藤純一が「ウチのじいちゃん」と呼ぶその男について紹介する。
基本情報
加藤一男(出生不明)
・加藤純一の父方の祖父(蟹江の父)
・16歳で結婚、その後中国大陸へ出兵
・戦時中、中国(南京)で1年間捕虜となり、この経験から他人を信用できなくなった(2年との情報もある)
・身長176cm。加藤純一の身長が伸びたのは、低身長の両親ではなくジジイのおかげとしている。
30歳から余生
終戦後、捕虜期間を経て29歳で帰国。
「生まれてから30年間で大日本帝国のために人事を尽くした、あとは余生だ」と言い、それ以降、植物のように暮らし、仕事を一度もしていない。
加藤純一が中学三年の頃、昼間に「加藤かずおさんが迷子になっています」というアナウンスで町中で呼び出されるなど、余生は主に徘徊していた。
子だくさん
加藤一男は8人の子を設けた。(うち一人が蟹江)
子どもをたくさん作った割に、働かないため金がなかった。
主に戦争年金で暮らしており、最低限の生活はできていたが、余裕はなく、息子の蟹江は15歳から大工として働くことになった。
孫に虐待される
加藤純一が物心ついたころには、一男は糖尿病で頭がぐちゃぐちゃになっており、妻(加藤純一の祖母)を困らせていた。
この姿を見た幼少期の加藤純一は、一男を「害悪」とみなしており、ハエ叩きで一男のケツを叩くなどして、悪の権化を倒そうとしていた。
13歳ごろになっても加藤純一は「俺は無敵だぁ!?」と笑顔で祖父・一男の頭を叩いていた。
一男に怒られそうになると、加藤純一は「どっちが強ぇか決めてやろうかァ!?」と逆ギレした。
この虐待の思い出は、名曲「尚子が大好き」の歌詞にも採用されている。
尚子が大好き
大工も大好き
姉貴も大好き
ババアも大好き でも
ジジイに虐待していたよ
僕の過ち
るー
名曲「尚子が大好き」が出来たシーン【2017/08/19】
加藤純一が受けた影響
加藤純一には、祖父・加藤一男から多くの影響を受けている。
ギャンブル
加藤純一は幼少期より、貴乃花vs若乃花で賭博(500円)をするなど、祖父からギャンブルの教育を受けた。
この経験が、ゲーム実況を心から楽しむことのできる加藤純一を形成している。
大日本帝国
加藤純一は日本を大切にする。また、戦争を引き合いに出し、
古代から日本男児は、
女と子供を守るためにマンモスに槍をもって突っ込み、
第二次世界大戦でも片道の燃料で「天皇陛下万歳」してきた。
加藤純一
などと発言している。
これらも、戦争を経験し中国で捕虜となった祖父に影響を受けている。
虐待の反省
ジジイを虐待したことを悔いており、今は決して暴力など振るわなくなった。
加藤一男の最期
高齢となった加藤一男は、認知症で徘徊し、ごはんと間違えて笹を大量に食べ、窒息して死んだ。
この話は、加藤純一によって幾度となく語られている。
戦争を経験し、つらい過去を乗り越え、加藤純一に多大なる影響を与えた加藤一男。
天国から加藤純一の活躍を見守っていることだろう。
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